「こんなページがあることに気付いた」
「というわけで、トリプルパックの3本はよくできているが、特にLIMBOを持ち上げていたわけだが」
「うん」
「勝手においらが1人でほざいているだけだと思ったが、そうじゃ無いことが分かってきた」
「えっ?」
「LIMBOは、トリプルパックの2本目であるし、モノクロで静かで地味だから、やはりトップは取れないのだろうと思っていた。でも以下のような記述を見るとそうでも無いことが分かる」
10年7月にダウンロード販売が開始され、今年3月2日に発表が行われた米Game Developers Conferenceのゲーム開発者による投票によって決まる、Game Developers Choice Awards(GDCアワード)で、並み居る大型タイトルの強豪を押さえて、ベストビジュアルアート部門を受賞するなど、高い評価を受けている。現在のインディゲームの頂点のゲームとして理解されている。
「この問題はどう解釈すべきなんだい?」
「つまりさ。常識は既に壊れつつあるということだ。日本国内にいると分かりにくいけどね」
「えっ?」
「インディーズは新人の登竜門というわけでもないようだ」
欧米圏では、インディというのは、若手だけが作っているのではなく、ゲーム会社で経験を重ねた中堅やベテランが、自分たちの作りたいものを作るために、スタートしていることも少なくないのだ。
少人数の開発チームでは、当然、大きな予算を掛けた大型タイトルの開発を行うことは難しい。しかし、だからといって優れたゲームが作れないということではない。むしろ、既存の大規模なゲーム開発では思いつかなかったような新しいゲーム表現の可能性が、苦労を重ねて、発見されるケースも続いている。
「そうか。中堅やベテランが新しい世界を切り開くために作るものなんだね」
「ここを逆に考えてみよう」
「何を?」
「おいらの立場だよ」
「何か立場があるの?」
「1980年頃の状況を思い返すと、おいらもゲームを開発していた。まあ、当時のパソコンというかマイコンで、役に立つソフトはゲームぐらいだった、という側面もあるけどね」
「マイコンブームの時代だね」
「そこでいろいろな可能性の萌芽があった」
「萌芽?」
「そのいくつかは開花したが、いくつかは消えた」
「開花したのもあるのか」
「そうだ。開花したものは決まり切った様式として定着した。定着するまでの試行錯誤期間を知らない若者は、ゲームとはその様式だと思い込んでいて、様式に沿ったものを作ろうとするがもちろんそれは間違っている。縮小再生産にしかならないからだ。客が飽きて客離れが起きるが、本当の意味でのクリエイターも面白くないから離れてしまう」
「そうか。そこで離れたクリエイターの行き先がインディというわけだね」
「問題はそこでのおいらの立場だ。1990年よりも前に、既にゲームは面白みを低下させていた。だから、おいらはゲームの世界を自分の生きる場所に決めなかった。でも、今はゲームの世界はカオスだ。それこそ、かつての様式に囚われない新しいゲームを作り出せる余地がある。新しいジャンルの始祖になることも夢じゃ無い。そういう時代だ」
「それでどうするの?」
「おいらも、XNAに取り組んでもいいかもしれない、という気がしたよ」
「XNAか」
「そこで、1980年頃に抱いて開花させられなかったコンセプトを追求してもいいし、2010年代ならではのまったく新しい遊び方を考えてもいい」
「まったく新しい遊び方なんてあり得るの?」
「もちろんさ。昔とはまるで前提が違うんだ。ファミコン時代の入力=コントローラ、出力=テレビという感覚をいつまでも引きずる必要なんてない」
「それってどういうこと?」
「キネクトはその答えの1つだろうね」
「なるほど」